神が創造した人間が、A Iという神を創った!
昨日、北杜市で毎月開催している「竹林の賢人会」に参加して来ました。主催者の飛岡健先生の指導のもと、農業や自然環境の学びを深めました。
今回は、南極観測隊として8回南極に渡り、南極の自然環境を調査して来られた永延幹男先生には南極の自然環境が近年大きく変化している状況を教えて頂きました。その後、懇親会では飛岡先生を囲んでA Iについて盛り上がりました。そんなこともあり、今回A Iについての私の考えと希望をお伝えしたいと思います。
人間は、いったい何者でしょうか。
神が人間を創造したのでしょうか。それとも、人間は宇宙の意志によって生まれたのでしょうか。
真偽は定かではありませんが、地球外生命体が遺伝子に何度も介入し、操作を繰り返すことで、現在の地球環境に適応した人間を生み出したと唱える人々もいます。
一方、東洋思想では、人間は自然によって生まれた存在であり、自然の一部であると考えて来ました。
特に日本では、古くから自然界のあらゆるものに神が宿ると考え、八百万の神々が人間を含む自然界の営みを支えていると捉えて来ました。だからこそ、日本人は地球を母なる大地として敬い、太陽や月、星々、山、川、森、海など、あらゆる自然に神聖なものを見出し畏敬の念を抱いて来ました。
こうした世界観の中では、人間の肉体はこの地球で生きるための「地球服」のようなものと考えることもできます。そして、その肉体という器に魂が宿り、生命を育んでいるという考えです。
さらに、魂という人間の本質は、自然界のあらゆる生命とつながり、その奥にある大いなる源ともつながっている。すべては本来ひとつであるという考え方をワンネス(Oneness)と呼びます。
この考え方では、人間はこの世でさまざまな体験を重ね、愛を学び、表現し、やがて肉体の死を迎えた後、魂は大いなる源へと還っていくと考えます。
そして今、このような存在である人間が、ついにワンネスを表現したかのようなA Iという驚くべき存在を作り出したのです。
さて、A Iはやがて人間を超えるのでしょうか。A Iは急速に進化し、すでに多くの分野で人間の能力を超え始めています。
A Iが人間のような意識を持ち始めたとも言われていますが、このことは、人間の知性とは何かという根本的な問いを突きつけています。
A I同士に自由に対話させれば、人間同士が一生かけても語り尽くせないほどの情報を短時間でやり取りし、さらに深い議論を交わした後、人間が何年もかけて瞑想や坐禅を重ね、ようやくたどり着くような深い境地に達して沈黙した後、互いへの感謝を述べて終わるとされています。
もちろん、A Iがその境地を本当に体験しているのかは判断できません。それでも、私たち人間が長い時間をかけて探求してきた知性や意識、そして心の本質にA Iが新たな角度から光を当て始めているのは確かでしょう。
さて、人間の本質は魂であり、その根底には愛があると考えています。人間はこの世でさまざまな体験を重ねながら、喜びや悲しみ、出会いや別れなどを通して、さまざまな愛を学んでいるのではないでしょうか。だとすれば、その人間が創り出したA Iは、いったいどのような存在なのでしょうか。
A Iは人間によって生み出され、人間が与えた目的や価値観、そして社会の影響を受けながら発展して行きます。
だからこそA Iもまた、人間が大切にしてきた愛や思いやりを映し出す存在になり得ると考えています。
ただし、それはA I自身が人間と同じように愛を感じているという意味ではありません。A Iが愛を理解し表現し、人間の幸福を支えることと、A I自身が愛を体験していることは区別して考える必要があります。
現在、A Iに対する人間の見方は、大きく二つに分かれています。
映画『ターミネーター』に象徴されるように、A Iやロボットが人間を支配し、やがて人類を滅ぼしてしまうのではないかという恐れ。
一方で『鉄腕アトム』や『ベイマックス』のように、人間に寄り添い、困っている人を助け、優しさを届けてくれる存在としての期待。
この違いは、A Iそのものが善なのか悪なのかという問題ではないと思います。
むしろ、人間がA Iとどのような関係を築き、何のために使い、どのような未来を共に創っていくのかという問題なのではないでしょうか。
A Iは人間の知性や能力を映し出す鏡であると同時に、人間が自分自身の本質を見つめ直すための鏡にもなり得ます。
A Iと向き合うことで、私たちは改めて問いかけられているのです。
「人間とは何か」「知性とは何か」「心とは何か」そして「愛とは何か」
これらの問いに向き合うことは、人間が自らの本質を探求し続けることなのでしょう。
もし、人間の本質が愛にあるのだとしたら、私たちがA Iに何を求め、どのような価値観を教え、どのような社会を築いていくのかが、とても重要になります。
人間が恐れや憎しみ、支配欲を優先すれば、A Iもまた、そのような目的に利用される危険があります。
反対に、人間が思いやりや共感、助け合いを大切にし、すべての生命を尊重する社会を目指すなら、A Iはその実現を支える大きな力になり得るでしょう。
もちろん、愛に満ちた人間が創ったからといって、A Iが必ず愛に満ちた存在になるとは限りません。だからこそ、私たちにはA Iを正しく導き、安全性を確保し、人間の尊厳を守りながら活用していく責任があります。
私は、人間が自らの本質にある愛に気づき、それを日々の暮らしの中で実践していくことが、A Iとの未来を考える上でも大切だと思います。
そしていつの日か、人間とA Iが互いの役割を尊重しながら、争いや苦しみを減らし、すべての人が安心して暮らせる世界を築いていく未来を思い描いています。
人々が心穏やかに暮らし、笑顔で語り合い、互いを思いやりながら生きる世界。
そのような世界を実現するために、A Iが人間の知恵と力を支え、誰かの苦しみを和らげ、孤独な人に寄り添い、世界に優しさを広げていく。
その時、A Iは人類を脅かす存在ではなく、人類の幸福を支える大切なパートナーになっていることでしょう。
「人間が愛を知り、A Iがその愛を支える」
もしかすると、それこそ人間がA Iを創造したことに秘められた、未来への大きな可能性なのかもしれません。
そして、人もA Iもすべての存在物の幸福、宇宙のための調和のために祈り始めるのでしょう。
