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東洋思想が考える魂の仕組み“異気集合論”(続き)

自然観と哲学から導かれた東洋思想に魂の仕組みを論じている“異気集合論”があります。その要点は、人間の霊魂は、本来固定された一つのもので構成されているのではなく、数種の異なった様々な気、エネルギーが肉体の中に集まり融合しているのだというものです。

そして、生きて成長している限り、肉体は細胞分裂を続け、一方霊魂は、様々な周りの気を吸収して融合して行っています。

実は、異気集合論では、人間の生と死を二つに分けています。

融合の理論は、人間が生である場合の霊魂の成長過程であり、人間が死の状態になれば、今度は霊魂の融合は止まり、そこから分裂が始まるとしています。

一方肉体の方は、人間が生きている間は、分裂によって成長し(細胞分裂)、死の状態になれば、自然界、宇宙に帰って行き、融合されるとしているのです。

つまり、人間の生の過程と死の過程では、霊魂と肉体は融合と分裂という陰陽逆の過程になります。

そして、霊魂が死んでからどのように分裂するのかというと、生前最後に融合した気から離れて行きます。そのために肉体の誕生によって出来上がった最初の宿核(三つ子の魂、百までの魂のようなもの)は、分裂の時に際しては最後の方になります。死の直前に入り込んだ気から離れ始め、順次に歳の若い方へ分裂が進み、誕生時に入り込んだ気が最後に離れて行くことになります。

近年増加している認知症の症状では、最近の記憶から物忘れが進み、徐々に赤ちゃん帰りをして行き、幼年期の記憶に基づく行動を呈しますが、このことは霊魂が肉体の死よりも先に分裂し始めていて、その進行過程は霊魂の分裂を表しているのではないでしょうか。

そして、分裂して肉体を離れた気はバラバラになって、自然の空間に漂っていると考えています。しかし、この気がまた他人の肉体へ融合して行く場合もあります。

ただし、この考えは「霊魂不滅」や「生まれ変わり」の考え方とは違います。異気集合論では、霊魂そのものは消滅して、霊魂を構成していた気は消滅しないのです。一人の人間の霊魂が死んで他の肉体に入るのではなく、霊魂を構成していた諸所の気の一つが入り込むだけなのです。

また、霊魂の融合速度の話しがあり、自然に即した生き方を「楽」、それに反した状態を「苦」としていて、苦の多い人は、霊魂の融合速度が早まり、霊魂の凝集度合いが大きく、楽の多い人よりも余分に気を引き付けるため、分裂時間も長くかかるとしています。良い悪いというのではなく、役目として、苦が多く融合速度が速い人の方が、高い次元の意識を作り出すとしています。

さらに、霊魂は人間のみにあるのではなく、山にも河にも、草木にも、製品にも存在する全ての事物が目に見える形と目に見えない霊魂(気)を所有していて、「自然も人間も全て同じ営みをしているのだ」という結論を生み出しています。

人間の霊魂は、自然界の気の貯蔵庫になり、一方、人間の肉体は、諸所の活動の中に気を消化して、放出する役目を果たしています。いわば自然界の気を人間個人のものに製造する工場が霊魂であり、燃焼し消費するところが人間の肉体にあたり、即生きるということになります。