東洋思想が考える魂の仕組み“異気集合論”
自然観と哲学から導かれた東洋思想に魂の仕組みを論じている“異気集合論”があります。その要点は、人間の霊魂は、本来固定された一つのもので構成されているのではなく、数種の異なった様々な気、エネルギーが肉体の中に集まり融合しているのだというものです。
宇宙空間に浮遊している様々なエネルギーを有する見えない気が、人間の肉体の中に別々に入り込み、ある一定の時間が経過すると、それぞれの気が融合し、全く新しいエネルギーの気を生み出すというものです。
この理論は、気の融合によって二次的に生じた新しいエネルギー体を人間の霊魂であるとしています。霊魂そのものが異なる気の集合体というものだと考えているのです。
そして、人間にとって生きているということは、肉体と霊魂が一体となっているからだと考えています。つまり、生とは「霊魂と肉体の融合」であり、死とは「霊魂と肉体の分離」であるとしています。
肉体に霊魂が宿り、その二つが完全に融合したものを「命」と定義していて、大自然に存在している様々な事物には、必ず「形と気」があり、二つの要素の存在によって命が保たれているということになるのです。
倫理の教えでも、「物は生きている」と教えています。「着物も、道具も、機械も、金銭も皆生きている。物はこれを愛する人によって生み出され、これを大切にする人のために働き、これを生かす人に集まってくる。すべて生きているからである。」
また、物と会話できる方は、校庭に立つ樹木が子どもたちの活動をつぶさに見て来たことを聞いています。
しかし、異気集合論では、器(形)が生まれると即座に霊魂が宿るというような同時生成の理論ではなく、形が先に生まれて、霊魂(気)は後に出来上がると考えています。
本来、人間は誕生時、肉体のみが存在していて霊魂は存在しておらず、肉体の中身は空の状態です。そこにその後、自然界に存在している様々な事物の気(魂)が入り込んで来て、後に人間の魂を構成する「原子」となります。この原子には、個人を取り巻いている親、兄弟などの人間界の気もあります。
地球上を含め大宇宙に浮遊している様々な事物の霊魂(気)は、誕生した人間の肉体の引力によって引き寄せられ、人間の肉体に入り込んで来ます。それぞれ異なる気が肉体の中で混在することになりますが、これが一つ一つの原子となって、人間の霊魂が出来上がる前の状態になります。この状態から時間の経過とともに融合し始め、魂(気)の融合体が出来上がるのです。
現代では、胎内記憶が知られていて、多分、人間の意識の上昇と現代の役目によって、ある程度融合した塊となった霊魂が入り込むようになっているのでしょう。
そして、現代科学の理解の仕方では、肉体を形成するための細胞分裂の逆の作用、つまり、様々な気が融合し、それが完了した時に初めて人間の霊魂と呼べるエネルギー体が形成されると考えるのです。この融合した新しいエネルギー体を「宿核」と呼びますが、成長を続ける限り、また新しい気が次から次へと入り込んで融合して、さらに霊魂(気)が成長してことになります。この入り込む新しい気は、周りの人間だけでなく、食べ物の気や旅先の風景を形作っている事物の気も含みます。これを陰陽で考察すると、人間の生命(霊魂と肉体)は、分裂と融合にあるといえます。
異気集合論では、私たちの魂は、様々な周りの気を吸収して融合して行っているのです。