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死に対するとらえ方

私たちが生きて行く中で出会うもっとも大きな問題の一つは、「死の恐怖」と向き合うということでしょう。 がんが恐れられている理由も、昔から「がん=死」といった不健全な考え方があるからで、私たちはこの死に対する恐怖感に苛まされていると言えます。 しかし、昔から分かっていて、近年のさまざまな研究で死後の世界、つまり、あの世の存在が証明されています。それらを統合して、私の考えをお伝えしたいと思います。
まず、私たちの構造が、肉体と魂の二重の構造になっていることです。 そして、多くの研究でさまざまな臨死体験と、生まれるときの記憶の記録から分かっているのは、この世の生は、肉体の器に本質の命(魂とも言えるでしょう)が合致して宿っていることです。つまり、肉体はこの世を生きるための乗り物であるということです。生まれるときは、母親のお腹の中で肉体が形成され、あの世から魂が降りてきて入り込んで生命になります。一方、死ぬときは必要のなくなった肉体から魂があの世に旅立ちます。 あの世が本来いる場所で、あの世からこの世の肉体に入り込む前から魂はこの世で生きるための肉体選び、つまり、母親選びをしています。 また、死ぬときには、肉体から離れて、お帰りなさいと祝福され迎え入れられているのです。 昔から、魂のことに関して世界中でいろいろ言われていますが、東洋思想では、魂と肉体が合致したのが“生”とし、役目があれば生、役目が終われば自然淘汰という“死”を与えられるとしています。ここでの役目は、現在ではいくら稼いでいるのかとか、どんな地位を築いているのかということでしょうが、そうではなく、たとえ五体不満足で寝たきりでも、両親や周りの人々への気付きという縁も役目としているのです。 また、陰陽を当てはめれば、肉体が器として、受容する立場として陰になり、主体が陽である魂としているのです。 特に、魂が各自、この世のテーマ(課題・学び)を体験するために、この世に生まれて来るとしています。そして、役目としての学びが終われば、お帰りなさいと祝福されて迎えられるのです。
このように、本来のこの世の生を科学的にも哲学的にも理解すると、戦争や犯罪に巻き込まれて死ぬことでなければ、看取ってくれる人々のいる病床(もしくは自宅)での死はそんなに過度に恐れることはないと理解できるのではないでしょうか。 私も、いつもなるようになる、その時はその時との考えで、私自身のペースで、施術を通して縁ある人々を幸せにすることをテーマに、日常を過ごしています。 未来は、願いで形造くられていくのを知っていますので、夢や希望を持ち、自然の流れに逆らわず、また焦らず、呼吸のリズムに合わせて過ごして行きたいと思っています。   (参)生きがいの創造、前世療法、「ママ、生まれる前から大好きだよ!胎内記憶といのちの不思議」

[ブログ]2020.02.18