献身的なシスターたちの姿勢~いただいた愛を人にも分け与えたい
前回、素敵な鈴木秀子先生のお話しやご著書の内容をご紹介させて頂きました。
今回は、愛読書月刊「致知」2010年10月号に、有名な横田南嶺臨済宗円覚寺派管長との対談で鈴木秀子先生のお話しがご紹介されていました。その中で、鈴木先生がカトリックのシスターになられたきっかけのシスターたちの生活をご紹介します。
・・・戦後、それまでの価値観を否定されて生きていく中で、国際性のある大学とはどういうところだろうという関心から聖心女子大学を選んで進んでからです。
当時、カトリック教会では敗戦後の日本を援助するために、世界の一流大学で教鞭を執っていた海外の教育者に声を掛けて、日本に送り込んでいました。聖心女子大学にもそういう先生が集まっていて、自分の国を捨ててやってきた修道女(シスター)もたくさん学生たちの教育に携わっていました。
当時、カトリックのシスターたちには一生涯を通じて個人的な会話を絶対にしてはいけない、沈黙を守らなくてはいけないという厳格な規則がありました。だから、私たち学生が知っているのはシスターの名前だけ。どの国に生まれてどういう環境で育ったのかなど誰も何も分かりません。それでも彼女たちは、これから日本を背負っていく若い女性たちを育てるために死に物狂いで働いていました。
一方で、大学には教える側とは別に掃除や家事などを受け持っているシスターもいました。彼女たちは学校の廊下を掃いたり、寄宿舎で学生が使う皿を洗ったりしながら何かぶつぶつ言っているんです。まだカトリックのことは何も分からなかった私が友達にそのことを聞いてみると「いまここを通った学生と家族、それに連なる人たちが幸せでありますようにと、いつも祈っているのよ」と。
国や大切な家族を捨て、厳しい規律を守りながら、しかも人のために働くことだけが喜びという、およそ普通の人たちにはできないことができる、そのエネルギーの源は何だろうかと思いました。
・・・自分たちはイエス・キリストによって愛されたのだから、いただいた愛を人にも分け与えたいという一念で働いていることを知って、イエス様への関心が高まっていきました。
シスターたちにとっては、講義などを終えて宿舎に帰った後も修行でした。沈黙を守りながら夜中に起きて血だらけになってひざまずきながらお祈りをするような毎日を送っていましたが、それでいてとても明るいんです。いま思うと、シスターたちの姿そのものがキリストを表していたように思います。
彼女たちの真剣さに心打たれたことが、私がシスターになった理由の一つですね。・・・
このお話しで、以前鈴木秀子先生から直に先生自身のシスターとしての修行の様子をお聞きした内容を思い出しました。
それは、寝ても起きてもずっと修行で、沈黙を守りながら、ひたすらお祈りする毎日でした。
現在、非常に多くの情報にあふれた真っ只中で、私たちは生活しています。片時でもスマホがないと不安になってしまいます。でも、このようなあふれる情報は、本来の生き方にどれだけ必要なのでしょうか。
ファスティングは食事を制限して感性を高めることができます。同様に、あふれる情報を断捨離することで、別の視点でものごとをとらえることができるようになります。
時に、静寂を味わう豊かな時間を過ごして見ませんか。
(参)月刊致知2021年10月号